定年後に出す同窓会での名刺

 今回も、郷里同窓会の案内が来ました。我が母校の同窓会は特別で、学年全体で行う。生徒数が少ないからではありません。1クラス40人余(42~43人)、それがA組からk組まで11クラスありました。1学年で450人くらいの卒業生がいます。さすがに今は、少子化の影響からか減っていると、教師になった同窓生が前回の同窓会で言っていました。

 

 同窓会の場では懐かしさが先行し、誰も少年少女期に戻って大いにはしゃぐわけです。今の仕事や立場というのは、いっさい出さないことが本当は望ましい。口頭で「何してる?」「こんな事を細々やってるよ」くらいにしておくのがいい。こういう場は、仕事上の地位、収入の上下関係が憶測されそうなことは極力出さないのがいいのです。当時のガキ大将は歳をとってもガキ大将だし、ピエロ役は今もピエロに戻ります。

 

 ところで、そうはわかっていても僕は前回の同窓会で、まさにまずい思いをしました。多くの同窓生が地元に残っていて地元の人間になりきっています。大学以来、東京に残っている自分はなぜか複雑な心境を抱いていて、地元に帰りたくても帰れないよそ者のような意識が常にあります。地元と言っても、東京から新幹線で1時間、数時間で日帰りができるところです。しかし、それでもたまにしか帰らない。帰っても日帰りで戻るくらいの半分よそ者意識から、級友らとの懐かしさもあって、つい名刺を出してしまったのです。

 

 「ここで、こんなことやってる」。地元の人間どうしなら、こんなことはしません。いつでも会える。しかし、自分はいつでも忘れていないのに、地元を離れた人間は地元の人間から忘れられていく。そんな気持ちから、「東京に出てきたときは連絡してほしい」という思いで会社の名刺を出してしまうのです。

 

 大それた有名企業や中央省庁に勤めているわけでもなく、求められもしないのに差し出してしまう哀しさ。そんなのは、ごく親しかった級友同士でこっそりやればいいのです。みんなが輪になって集まっているところへ、ビジネスの名刺交換の感覚でやると、歓談の雰囲気がたちまち凍ってしまう。そんな雰囲気を背中で感じます。特に同じ東京組の同窓生同士で、「やあ、やあ」と懐かしがって名刺なんか出し合ったりすると、ビジネスの場の雰囲気に一変してしまうのです。

 

 たとえば、地元出身の議員がいて、昔の友人たちと和気あいあいとしているところに割って来たとします。在学中ろくに口もきいたこともない自分らに議員の名刺など差し出され、「やあ、よろしく」などと握手を求められたら、これは自分のことを「1票」として当て込んでいるなと、つい思ってしまう。もちろん、仲の良かった友がそうであるならば、ぜひとも応援したくなるのだが。ここはビジネスの人脈交流パーティでも、選挙立候補の応援パーティでもないわけです。

 

 もっとも、定年組が増えてくると、出そうにも名刺がありません。会社の名も肩書きもない。でも、だからこそ「自分は今、こんなことをしているのさ」と、過去の組織にとらわれない「自分の肩書き」の入った名刺を出せたら素敵です。そこには「NPO ○○代表」とか「○○仕掛け人」、あるいは「地元○○アドバイザー」などの名があったっていい。それが自分の生き方を証明できるものであれば。

(2014.0816)

 

 

 

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