「サルにも負ける」投資論

「市場」に投資する正道

今また、インデックスファンドに加えて、ETFが注目されています。インデックスファンドとは、日経225やTOPIX(東証株価指数)、ニューヨーク・ダウなど指標の動きに合わせて投資するファンドで、いわば「市場そのもの」、分かりやすく言えば、市場の平均と同じ投資成果を求めるものです。いっぽう、ETF(Exchange Traded Fund、指数連動型上場投資信託)は、簡単に言えば上場しているインデックスファンドのようなもので、上場株式と同様の取引ができます。手数料の面でも投資信託より安い。最近、商品(コモディティ)や金の価格に連動するETFまで上場されています。

「今また」と書いたのは、指標に連動させるインデックス運用は、ある時期から投資の正道のように言われていたからです。『ウォール街のランダム・ウォーカー』(バートン・マルキール著)だったと思いますが、アクティブ(積極)運用はパッシブ(消極)運用(=インデックス運用)に勝てないということを言っています。アクティブ運用とは、市場の平均を超える運用を目指すものです。

ファンドマネジャーは、インデックス(ニューヨーク・ダウ工業株35種)に対してどれだけの確率で勝てるか、という実験が米国で行われたことがあります。結果は、勝ったり負けたり。いや、負けのほうが込んでいました。つまり、運用のプロ、ファンドマネジャーは市場の平均にさえ勝てなかったのです。素人が個人で、ニューヨークのダウ指標と同じ銘柄に投資しても、運用のプロが独自の調査と手法に基づいて積極的(アクティブ)に成果を得ようと運用しても、結果はさして変わらないということになったのです。ここからファンドマネジャー不要論まで出ました。

目隠ししたサルの投資法

株式相場が酔っ払いのようにランダムに動く(ランダム・ウォーカー=千鳥足の酔っ払い歩き)なら、サルがやっても同じです。サルに目隠しし、銘柄ボードめがけてダーツを投げさせ、的が当たった銘柄順にポートフォリオを組んでいってもファンドマネジャーに勝てる。ここから「サルにも負ける」と言われるようになりました。

相場がランダムに動く、その動きを人間は予知できない(予知できれば皆が金持ちになるでしょう)。だから、サルに目隠しして的を当てさせる投資でいいと言われたのです。市場を知るのは「神」のみで、「市場には神の手がある」と言われました。インデックスの動きには、まさに「神の意思」が宿っているのだから、サルにも勝てない人間がそれを超えることなどできっこないという論調が強まりました。せいぜい、「神の手」で描かれた線(チャート)の上を、酔っ払いみたいに千鳥足で歩くのみです。

それでも「神の意思」に逆らおうとしたのが人間で、「神」を超えようとするアクティブ論者と、「神」に従順になろうとするインデックス論者との「対立」が始まったのです。市場と同じ確率で、同じ成果を出すことに満足していれば、「神」の子のままでいればよかった。しかし、人間の欲望がそれを許さなかったのです。

資産は増殖させなければならない―。そう望む投資家の欲望を満たすために、高い顧問料が払われて運用の専門家が雇われました。こうして「高収益を目指すファンド」が誕生したのです。

 

「神の手」に勝てない論者たち

富裕層向けにサービスが始まったラップ口座。最近では300万円から口座が開設でき、こちらはファンドラップとも言われます。プロのファンドマネジャーが資金を丸ごと運用してくれます。しかし、成績は芳しくないといいます。「プロが下手だから」と言って、口座を開設したばかりの投資家が解約していくそうです。プロが下手なのか、市場環境が悪化している時期なのか、はたまた投資家が「神の手」よりはるかに高い成果を求めているのか-。

アクティブ運用が悪いのではありません。巨額の投資資金を預かって、投資家の高い欲望に応える(運用者自身も高い報酬を得る)には、市場の成果をはるかに超えるための投資手法が必要です。ファンドマネジャーは決して無能ではありません。高度な金融工学や統計学、財務知識を駆使して、最新のポートフォリオ理論をマスターし、細密な調査を積み重ねた上で星の数ほどある中から銘柄を組み合わせていきます。そうした彼らがなぜインデックス運用に勝てないのか。それは、「神の手」に勝てないのではなく、人間の欲望というものに勝てないだけなのです。

50年前に日経225に1万円を投資していれば、50年後の今には500万円の株価になっています。経済は資本主義の宿命として半永久的に成長を続けなければならない。市場にさえ投資していれば誰でも投資額が10倍、100倍にもなりうる・・・。これが現代投資理論の帰結のように言われています。しかし、アクティブ・パッシブ論争は途絶えたわけではありません。「市場と同じ相場に投資するのが投資といえるのか」、というアクティブ論者の声があります。また、アクティブがパッシブに負けた、と断言しない論者もいます。

無理な投資に向かない日本人

いずれにしろ、今まで貯蓄に慣れ親しんできた日本人、プロを雇えるほど富裕でない日本人の多くは、今のところ無理な投資をするよりはインデックスファンドやETFのように「市場」に投資するほうが、無難ではないかと思えてきます(それでもリスクはあります)。

「貯蓄から投資へ」という掛け声に決して踊ってきたわけではない(踊れなかった)日本人。かつて、10年で元本が2倍になる時代、私たちは投資の理論など必要ありませんでした。銀行や郵便局に放り込んでおけばお金が2倍になるということを知っていたからです。また、家計資産のうち、年収に数倍の梃子(レバレッジ)をかけた負債(住宅ローン)をもつ日本人が、そうそうリスクの高い投資行動に移れるものではありません。これまで貯蓄に励んできた日本人は、じつは「サルにも負けない」投資法を知っていたのかもしれません。

投資は必要だといいます。しかし、投資を学べば学ぶほど、投資の本質が分からなくなる時代です。投資とは、いつも増えるものではなく、いつ減るかわからないもの、なのです。将来、お金が足りなくなる、だから今のうちから投資に励めと言われます。でも、それは「運用しないからお金が足りなくなる」というふうに論理がすり替わっています。お金が足りなくなるのは投資しないからではありません。支出が多いか、収入が足りないかです。足りなければもっと多く、もっと長く稼ぐ、あるいは反対にお金を節約すればいい。投資はそれからです。生涯たかだか数百万円程度しか投資できない私たちにとっては、運用の専門家向けの投資理論がそのまま当てはまるものとは思えません。

私たちは、せいぜいサルと一緒にバナナを食べたあと、その皮を「市場」に放り投げてやりさえすればいいのです。そこには「神の手」(インデックス)で組まれたポートフォリオがあるのだから。

 

(2008.11.20)

 

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